医蛾苦シリーズ第一弾のテーマは「マスク」
ここから全ての医系詐欺と人類の絶望は始まった。。。
今回ゲストには『マスク社会に終止符を!!』の著者である藤川賢治氏(医療統計情報通信研究所)を迎えてお届けします。
もし楽しんでいただけたらチャンネル登録、***ボタンもよろしくお願いします。
この企画は天人りさが思いつきで勝手に始めた自主制作活動です。
今回は「子供のマスク差別問題」にフォーカスして映画のようなストーリー調のMVに挑戦してみました。
自分は知識があるからマスクをしないけれども、それを他人に伝える勇気はなかなかなかったという苦い経験をしたことはありませんか?
その殻を破って行動することから世界は変わっていくのだと思います。
私も社会の中で子供達の苦しみを横目で見て知りながら、その中に自ら飛び込んで行って何かをしてあげることはなかなかできませんでした。
この作中の男子大学生にはそんな自分を投影させています。
そして正しい科学を通じて人が本当の意味で分かり合えるという世界を描きました。
どうかそんな私の「願い」が少しでも伝わって感じでいただけたら幸いです。
○キャスト
男子大学生:和桜寛一
女学生:まお、羅子、結愛、伊藤美乃
店員:ヨシロー(各国ワインと蒸留酒酒場 ワイン焼酎208店長)
エキストラ:素敵なボランティアの皆さん
○スペシャルゲスト
教授:藤川賢治(医療統計情報通信研究所)
○曲
『願い−マスク社会に終止符を−』
歌:天人りさ
作詞:天人りさ、作曲:caesar、編曲・ミキシング:Ikumi Magata
○歌詞英訳
You3
○資料監修
自粛マスク蛋白マン
○撮影・編集
ダイシ
○スペシャルサンクス
井上かなえ(cafe CABIN)、リバたん、KING
○企画・制作・監督・脚本
天人りさ
▼Twitter
/ kamyu0505
▼Instagram
/ risa_kamyu
▼TikTok
/ risakamyu
○ 藤川 賢治 著『マスク社会に終止符を!! 〜コロナとワクチン、統計情報のトリックを曝く〜』花伝社
https://t.co/XNOt94kkYC
○編曲者Ikumiさんの音楽教室&リリース情報
Akashic DTM教室
https://akashic-music-school.com/
Hair (Official Music Video)
• Ikumi Magata - Hair (Official Music V...
3/22 Hair正式リリース
https://laylo.com/raxlabel/YeHrz
○撮影に協力していただいた飲食店
各国ワインと蒸留酒酒場 ワイン焼酎208
https://s.tabelog.com/tokyo/A1310/A13...
天人りさ行きつけの店(笑)
○歌詞
『願い-マスク社会に終止符を-』天人りさ
”Wish -Let's End the Mask Era-" Risa Kamyu
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その目には ねぇ 何が映ってる?
What do you see in your eyes?
思い出して あの日の約束を
Remember the promise we made on that day.
笑顔あふれ 僕達の心臓は 鳴り響いてる
We are full of smiles. Our hearts are beating so strong.
声よ届け
Our voices are ready to be heard.
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ある日変わった教室
One day our classroom changed.
静けさが 君の顔も隠すよ
The silence hides your sweet face.
黒板には書いてない
My feelings are not written
僕の気持ちは
on the blackboard.
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ねぇ 僕達は幸せかな?
Hey, are we happy?
息が苦しくても負けないよ
We can't breathe and it's so painful. But we will not lose.
仮面脱ぎ捨て 心で生きて
Take off our masks and let's live with our hearts.
手を伸ばせば叶うから
Reach out our hands. Then our wishes will come true.
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♢繰り返し
♢Repeat
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歌が止まった放課後
Afterschool, no songs can be heard.
ルールには逆らえない僕達
We're so cowards that we can't go against the rules.
「先生、これが人生?」
"Teacher, what's the point of life like this?"
「青春と呼ぶの?」
"Where is our youth?"
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ねぇ あの日のこと覚えてる?
Hey, do you remember that day?
君の笑顔を忘れたくない
I don't wanna forget your smile.
ありのままで そのままでいて
I miss you just the way you are, just the way you used to be.
僕らなら取り戻せる
We can get our smiles back.
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ねぇ 僕達は幸せかな?
Hey, are we happy?
☆繰り返し
☆Repeat
LaLaLa…
最後にこの作品に関わっていただいた全ての皆様に感謝します。
一人では最後まで完成させることはできませんでした。
MV出演者は実際にマスク差別を体験した子供達です。
エキストラの皆さんもそうです。
そして最後の合唱パートはこの企画に賛同いただいた方から集めた子供達の実際の肉声が入っています。
またこの作品は未接種者だけではなく接種者の方、過去にマスク差別に加担してしまった方も携わっており、制作陣も作品を通じてまさに人が正しい科学で分かり合えるを姿をお互いに噛み締めることができています。
若者の勇気ある活躍の場として、また人々の強い意志を反映させる作品として、この映像が少しでも社会に貢献できればと願っております。
カズオ・イシグロのSF小説『わたしを離さないで』は、映画化もされたし、日本でドラマ化もされたので、ご存知の方も多いと思う。それは臓器のドナーになることを目的に生み出され育てられた、クローン人間たちの物語だ。
クローン人間である登場人物たちは、15歳になるまで全寮制の学校で学び、卒業の日に、それからの自分たちの運命を聞かされる。学校を卒業すると彼らは、それぞれ「介護人」や「回復センターの職員」などの仕事に従事するが、基本的には臓器提供を求められる日の訪れを待って過ごすことになる。
彼らの人生の価値は、彼らが提供可能な臓器を持っているということであり、それ以外には何もない。彼らは3度か4度の臓器提供を経て若くして死ぬ。彼らの人生はそれだけだ。結婚はできず、もちろん子供をつくることもできない。
彼らはただ、健康な臓器をつくり、保管するためだけに生きる。彼らの生活や、それに伴い発生する思考や感情は、副次的なものにすぎない。彼らが葛藤を抱えたり、苦しんだり悲しんだりするのは彼らの勝手であり、彼らの仕事=「健康な臓器を保管すること」には関係がない。苦しもうが、悲しもうが、そこに臓器があればよいのだ。
『わたしを離さないで』はフィクションだが、すべてのSFがそうであるように、それがフィクションでしかないと割り切ることはできない。過去には実際の人間を使ったリスクの高い医療実験や化学実験は何度も行われてきたのだし、本作自体もそうした歴史的事実に着想を得ているのだろう。
さすがに現代では、クローン人間をつくって臓器提供をさせようという発想に至るような為政者・意志決定者はいないだろうが、しかし、何が倫理的で何が倫理的ではないか、という合理的な線引きはなされていない。
人間はだめで、クローン人間はだめで、それでは動物ならばよいのか? だめな動物とだめでない動物がいるのか? それらを隔てるものは何なのか? 感情の有無か? それでは感情とは何か? 感情があるからだめなのだとすると、感情がなければいいのか? それでは脳を取り去ればいいのか? 脳のない人間ならば、その身体に何をしても許されるのか?
──そうした議論はそれほど多くは成されていないように思われる。特に日本においては。
COVID-19の性質を研究する目的で、人の肺の3Dコピーを作るという構想がある(*1)。3Dの人工肺に新型コロナウイルスを流し込むことで、肺の中でウイルスがどのように動き、肺にどのような影響を与えていくのか、ということを物理的にシミュレーションすることが主な用途らしい。
*1 3D Lung-on-a-Chip to Test New Therapies for COVID-19 and Other Lung Conditions(https://www.genengnews.com/news/3d-lung-on-a-chip-to-test-new-therapies-for-covid-19-and-other-lung-conditions/)
実現すれば感染症対策に大きく貢献することだろう。人体はハードウェアであり、ウイルスもハードウェアなのだから、ソフトウェアでのシミュレーションよりもハードウェアでのシミュレーションを行ったほうが妥当であるには違いない。それ自体には特に異論はない。
人工でつくられる肺は人工でつくられる肺でしかなく、ヒトではなくモノでしかないのだから、そこに人道的な観点から疑義を差し挟むことは難しい、というのが一般的な感覚だと思う。それ自体には疑問はない。
私が疑問に思うのは、線引きはどこにあるのか、ということである。