リーマンショック直後の2008年10月10日、ワシントンで開かれたG7財務相・中銀会議で、日本は「もっと米国債を買え」と迫られていた。そんな状況で、中川昭一氏はポールソン米財務長官に対し、「金融危機を甘くみないで欲しい。今回、日本は米国を助けない。米国は今回の危機に対して、自国で処理する事を期待する」と発言した。
そして、こう言った。「日本は黙ったまま、世界のキャッシュ・ディスペンサー(現金自動支払機)になるつもりはない」。
さらに、中川昭一氏は、翌11日の委員会で「日本は、自国の外貨準備(米国債)を使って、IMFに、1000億ドル融資する用意がある」と言った。翌年の2009年2月13日、中川昭一氏の署名によって、「中川構想」が実現し、IMFへ最大1000億ドルの融資がなされた。
泥酔を座視した官僚栄転の裏
「自然死」「事故死」「自殺」
CIAが画策する暗殺のベストパターンは、この三種類という。
その意味で中川氏の酒癖の悪さは周知の事実であり、氏の弱点が露呈していたことは確かだ。
中川氏死去のニュースで日本の関係者が悲嘆に暮れている10月上旬、ワシントンのIMFから財務省に吉報がもたらされた。篠原尚之財務官がIMFナンバー2のポストに、日本の財務官僚が世界の金融機関のリーダーとして迎えられたというわけだ。
しかし、この篠原氏は中川財務相時代に玉木国際局長(当時)とともに、ローマのG7財務相会議に同行し、泥酔会見を座視していた人物である。泥酔会見を阻止できなかった2人の財務官僚には、いまだに責任論がくすぶっている。その不満をよそに、ワシントンから抜擢人事の吉報が発令されたのだ。中川氏の麻布高校同級生だった玉木国際局長は、篠原氏の後任の財務官に出世するというおまけまでついた。何があったのか。
実は中川氏が仕掛けたIMFへの10兆円出資の外貨準備による運用は、米国の怒りを買ったため、実際の契約は、日本政府がIMFに対して日本の円を現金で融資するという方法にいつの間にかこっそり切り替えられていたのだ。麻生首相も中川氏も「日本政府は新たな負担なしにIMFに協力できる」と胸を張った方式は、日本政府が現ナマの巨額の円を融資するという米国が歓迎する方法に変貌していたのである。そしてこのお膳立てをIMFとともに粛々として進めたのが、財務官を中心とした財務省の少数の官僚だったといわれる。
「米国式の徹底した論功行賞です。米国の意向に逆らった中川氏には悲惨な運命が、大臣とは別に米国の意向を忠実に実行した官僚には栄転の道が開けたのです」と米国のストラテジストは指摘する。
地下に眠る愛国政治家、中川氏は どう思っているのだろうか。
超拡散《故中川昭一先生の酩酊記者会見の闇を知る原聡子が「バンキシャ」に出演》
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-868.html