幻の八尾ドルメン古墳💫 Mysterious Tumulus, "Yao Dolmen". 大阪府八尾市
全国的に有名な大阪府八尾市の高安古墳群の中で「八尾ドルメン」(又は「河内ドルメン」)とばれる古墳です。
高安古墳群とは6世紀代に、生駒西麓に造られた、300基以上の横穴式石室墳が集中する古墳群です。
服部川・山畑・大窪・郡川の地域に集中して造られており、この地域は「高安千塚」ともいわれています。6世紀は、聖徳太子や蘇我馬子(そがのうまこ)・物部守屋(もののべのもりや)が歴史に登場する時代です。高安古墳群は全国的にも群を抜いて大きい横穴式石室を持つ古墳群です。「河内」という政治の中心近くにあって、大きな権力をもった豪族の墓域であったと考えられます。明治時代には多くの研究者(大森貝塚を発見した博物学者エドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse)や日本考古学の父といわれるウィリアム・ゴーランド(ガウランドとも、William Gowland)を初めとする著名な外国人研究者たちが訪れ、いち早く海外に紹介された古墳群です。
この「ドルメン」と言う言葉の意味ですが、これは支石墓(しせきぼ)のことで、新石器時代から初期金属器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種のことです。基礎となる支石を数個、埋葬地を囲うように並べ、その上に巨大な天井石を載せる形態をとります。
世界各地にこの様式の墓を見ることができますが、わけても朝鮮半島において数多くのドルメンが残されており、世界中にあるドルメンのうち、約半分ほどが朝鮮半島で見ることが出来ると言われています。
日本では少ないですが九州地方でみることが出来るようです。しかしながら弥生時代前期が終わる頃には姿を消していった埋葬様式であると言われています。
現在ではこの八尾ドルメン古墳は、実は「ドルメン」ではなかったという事になっています。
明治時代初期に エドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse)が古墳などを調査・スケッチをし、その成果を「日本におけるドルメン」として紹介しましたが、その中の一つがこの八尾ドルメンでした。
それ以降、「八尾ドルメン」又は「河内ドルメン」という呼び名が定着してしまいましたが、正式にはこの八尾ドルメンは
「大窪・山畑36号墳」と言います。
その後、この近辺の埋葬様式等も含めた調査の結果、様式は定かではいがこの八尾ドルメンは古墳の墳丘の盛土が失われ、石室が完全に露出した状態のものである事と言われています。
つまり石室の大半がなくなり入口の枠組みだけが残っているという状態の古墳なので実際には余り重要視されていない古墳です。従ってこの八尾ドルメンの案内等がないのでこの場所を見つけるのは困難です。この周辺の高安古墳群の中で重要視されている二室塚古墳などは、八尾市の正式な案内板がその古墳の前に立てられています。ちなみに、近鉄信貴山口駅の前の大きな周辺案内板の中には、「ドルメン」が書かれています。
以前、この八尾ドルメンを見学するのにこの古墳にたどり着くのは困難でした現在はこの八尾ドルメンの直ぐ近くを「農免道路」が通ってますので、近くまで行くことは容易になりました。しかしながら、寸前まで行っても周辺は年中草木が茂っていますので実際にどこにあるのかよく分からないのが現状です。
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