「凉凉」中国ドラマ《三生三世十里桃花》OST「凉凉」中国ドラマ《三生三世十里桃花》のエンディング曲
歌唱:楊宗緯と張碧晨
この曲はプロの方が素敵な訳詞をなさっていらっしゃるのでどうしようかと
思ったのですが、やっぱり作ってみようと思い作製してみました。
映像はyoutubeからお借りしました。間違いも多々あるかと思います。m(_ _)m
でも、この作詞をされた刘畅さんは、この詞を書いた時は、大蓮の大学四年生
だそうですが、中国古典を引用した造語が多いようです。
だから、文字面だけだと中国の人でも意味が分からないと言っています。(^_^;)
それで、なるべく原詞の訳を大切にして意訳をしてみました。
意味が分かるように語句を追加して意訳しているところもあります。(^_^;)
ネットを検索して中国の方達のこの歌詞への疑問や解釈を参考にさせていただき
ました。とてもたくさんの方達が投稿されています。それだけ解釈が難しいと
いうことでしょう。(>_<)
出処としては、
「不思量 自难相忘 」「也曾鬓微霜」は、【題名;江城子 (乙卯正月二十日
夜記夢):作者;蘇軾】という詩からの引用です。元の字列は「不思量 自难忘」と
「相」がないものでしたが、この「凉凉」では「お互い」の意味で相手の相を入れ
たのですね。
もう一つの引用元は「塵滿面 鬢如霜」で「(また会っても)顔は塵だらけ、髪は
真っ白(お互い気づくこともない)」というものから。
「夭夭桃花凉」「灼灼桃花凉」は、詩経『桃夭』より引用のようです。
その詩経では、「桃之夭夭 、灼灼其華」という字列があります。
訳としては、「桃の木々の若々しさよ。 燃えるように盛んに咲く花よ。」
「化作春泥 呵护着我」は龚自珍が作った《己亥杂诗》から。
その詩の中に「落红不是无情物,化作春泥 更护花」という字列があり、
意味は、「散った紅い花も情がないわけではなく (枯れた花は)春の
泥土となって (またそこに咲く)花を守ろうとしている」となります。
「落花有意 流水无情」は成語で、「一方に情があっても他方には通じない,
落花情あれども流水意なし.」
「就让情分 落九尘」の「落九尘」の「九」は
李白の詩「飛流直下三千尺」の中にある「疑是銀河落九天」より。
意味は「まるで天空から、銀河が落ちてきたかのようだ。」
「九天直下(急転直下)」という言葉はこの詩にもとづくようです。
「尘(塵)」は通常ひそかに時間の経過を指していて、静かに塵に覆い隠
されることなので、「情を心の奥底に沈ませた」と意訳しました。
ちなみに、このドラマの中でも、夜華たちがいる場所を「九天」と言って
ますね。
訳しにくい語句としては、
「折旧的心」は、直訳では「減価償却(減価部分を回収する)の心」です。(笑)
つまり減価(傷付いた心)を少しずつ回収(癒す)して行くということから、
「少しずつ癒されていく心」としました。(^_^;)
中国のある人が言うには「この歌詞を作った人が中国の古典文学の文体を
まねましたから、そういう歌詞は中国人さえ納得しかねるかもし
れません。」ということらしいです。(汗)