こんにちは。カレーは飲み物、猫はお吸い物。
犬も好きだけど、猫も好き。タミーです。
このチャンネルは日本のアーティストを中心に様々なMVビデオを紹介するチャンネルです。
皆さんと素敵な曲や時間を共有でければ幸いです。
今回、ご紹介する曲はちゃんみなの「命日」です。
この曲はドラマ「ハヤブサ消防団」の主題歌にもなっていたので、
ご存じの方もいらっしゃるかと思います。
この歌によって、ストーリーのクライマックス感がより高まっていましたね。
ヒップホップ的なイメージが強い彼女ですが、このMVでは
昔ながらのヤクザの家に生まれた女性を見事に演じています。
歌のみならず、歌詞、演技、演出共に非常に素晴らしいMVです。
この動画はYouTube、FC2、TikTok、ニコニコ動画で視聴できます。
Hello. Curry rice is a drink and a cat is snuff.
I love not only dogs but also cats. I'm Tammy.
This channel is to introduce various music videos mainly of Japanese artists.
I want to share wonderful songs and time with you.
This time, I‘ll introduce the CHANMINA’s song, Death Anniversary.
As you may already know, this song was used as the theme song of the drama, Falcon Fire Company.
This song enhanced a sense of climax of the story.
Although she has the established image as a hip-hop singer,
she acted a daughter and heir of a traditional Japanese Mafia impressively in this MV.
As well as the song itself, the lyrics, acting and production of this MV are also great.
This video can be seen on YouTube, FC2, and TikTok.
#ちゃんみな, #CHANMINA, #命日, # Death Anniversary, #ハヤブサ消防団, #主題歌, #ヤクザ, # Japanese Mafia, #リアクション
カズオ・イシグロのSF小説『わたしを離さないで』は、映画化もされたし、日本でドラマ化もされたので、ご存知の方も多いと思う。それは臓器のドナーになることを目的に生み出され育てられた、クローン人間たちの物語だ。
クローン人間である登場人物たちは、15歳になるまで全寮制の学校で学び、卒業の日に、それからの自分たちの運命を聞かされる。学校を卒業すると彼らは、それぞれ「介護人」や「回復センターの職員」などの仕事に従事するが、基本的には臓器提供を求められる日の訪れを待って過ごすことになる。
彼らの人生の価値は、彼らが提供可能な臓器を持っているということであり、それ以外には何もない。彼らは3度か4度の臓器提供を経て若くして死ぬ。彼らの人生はそれだけだ。結婚はできず、もちろん子供をつくることもできない。
彼らはただ、健康な臓器をつくり、保管するためだけに生きる。彼らの生活や、それに伴い発生する思考や感情は、副次的なものにすぎない。彼らが葛藤を抱えたり、苦しんだり悲しんだりするのは彼らの勝手であり、彼らの仕事=「健康な臓器を保管すること」には関係がない。苦しもうが、悲しもうが、そこに臓器があればよいのだ。
『わたしを離さないで』はフィクションだが、すべてのSFがそうであるように、それがフィクションでしかないと割り切ることはできない。過去には実際の人間を使ったリスクの高い医療実験や化学実験は何度も行われてきたのだし、本作自体もそうした歴史的事実に着想を得ているのだろう。
さすがに現代では、クローン人間をつくって臓器提供をさせようという発想に至るような為政者・意志決定者はいないだろうが、しかし、何が倫理的で何が倫理的ではないか、という合理的な線引きはなされていない。
人間はだめで、クローン人間はだめで、それでは動物ならばよいのか? だめな動物とだめでない動物がいるのか? それらを隔てるものは何なのか? 感情の有無か? それでは感情とは何か? 感情があるからだめなのだとすると、感情がなければいいのか? それでは脳を取り去ればいいのか? 脳のない人間ならば、その身体に何をしても許されるのか?
──そうした議論はそれほど多くは成されていないように思われる。特に日本においては。
COVID-19の性質を研究する目的で、人の肺の3Dコピーを作るという構想がある(*1)。3Dの人工肺に新型コロナウイルスを流し込むことで、肺の中でウイルスがどのように動き、肺にどのような影響を与えていくのか、ということを物理的にシミュレーションすることが主な用途らしい。
*1 3D Lung-on-a-Chip to Test New Therapies for COVID-19 and Other Lung Conditions(https://www.genengnews.com/news/3d-lung-on-a-chip-to-test-new-therapies-for-covid-19-and-other-lung-conditions/)
実現すれば感染症対策に大きく貢献することだろう。人体はハードウェアであり、ウイルスもハードウェアなのだから、ソフトウェアでのシミュレーションよりもハードウェアでのシミュレーションを行ったほうが妥当であるには違いない。それ自体には特に異論はない。
人工でつくられる肺は人工でつくられる肺でしかなく、ヒトではなくモノでしかないのだから、そこに人道的な観点から疑義を差し挟むことは難しい、というのが一般的な感覚だと思う。それ自体には疑問はない。
私が疑問に思うのは、線引きはどこにあるのか、ということである。
“ジャズ界の帝王”マイルス・デイヴィスのジャズ・スピリットに触れる感動のドラマ
1991年9月に急死してなお、世界中の音楽シーンに影響を与え続ける“ジャズトランペットの帝王”マイルス・デイヴィスが死去する間際に出演しした唯一の作品。音楽もマイルス本人と、フランス音楽界の巨匠ミシェル・ルグランがタッグを組み、最高に渋いスコアに仕上がっている。伝説のジャズミュージシャン役を演じたマイルスのセリフ、演奏は唯一無二の存在感を放ち、見る者の心を動かし感動させる。監督は「エンカウンターズ」(V)で注目されたロルフ・デ・ヘール。主演は「グランドゼロ」などのコリン・フリールズ。共演はマイルス・デイヴィスをはじめ、「私のように美しい娘」などのベルナデット・ラフォン。
STORY
オーストラリアの田舎町にある日突然、チャーター機が不時着する。そこには、伝説のジャズミュージシャン、ビリー・クロス(マイルス・デイヴィス)とそのバンドが乗っていた。彼らはそこで即興演奏を始める。それを見つめる地元の少年ジョン(コリン・フリールズ)。彼の視線に気付いたビリーは「君は音楽をやるべきだ。パリへ来たら俺を訪ねろ」と言い残して去っていくのだった。そして、20年の歳月が流れ、ジョンは地元のアマチュアバンドでトランペットを吹いてた。優しく美しい妻や子供たちとの生活は満たされていたが、心の中はジャズミュージシャンへの憧れが渦巻いていた。そしてジョンはついに決意をし、誰にも告げずに彼はビリーの待つパリに旅立って行く…。