スズメがいなくなるだけでこんな大惨事に…!動物駆除作戦の思いがけない結末大躍進政策
毛沢東が1958年から1961年までの間、中華人民共和国が施行した農業と工業の大増産政策。反対派を始末し、合作社・人民公社・大食堂など国民の財産を全て取り上げて共有化する共産主義政策を推進した毛沢東は数年間で核武装や経済的にアメリカ合衆国やイギリスを15年以内に追い越すと宣言。しかし、現実を無視した手法と多数の人民を処刑死・拷問死させるなど権力闘争のために中国国内で大混乱を招き、人類史上最多の大飢饉と産業・インフラ・環境の大破壊と多数の死者を巻き起こした。世界で最も多くの犠牲者数を出した社会主義政策である。
四害駆除運動
1958年2月から、四害(伝染病を媒介するハエ、カ、ネズミと、農作物を食い荒らすスズメ)の大量捕獲作戦が展開された。正式には「除四害運動」と呼ばれたが、スズメを大量に駆除した(北京市だけでも300万人が動員され、3日間で40万羽のスズメを駆除した)ことから、「打麻雀運動」、「消滅麻雀運動」とも呼ばれる。しかしスズメの駆除は、かえってハエ、カ、イナゴ、ウンカなどの害虫の大量発生を招き、農業生産は大打撃を被った。
スズメは、農作物を食べると同時に害虫となる昆虫類も食べ、特に繁殖期には雛の餌として大量の昆虫を消費している。指導層の無知が故に、食物連鎖の生態バランスを完全に無視した結果だったのである。後にスズメは南京虫に変更され、ソ連から大量のスズメが送られたといわれている。