映画で知るポーランド(社会主義時代) 洋画「ワルシャワ二つの顔を持つ男」 ~国防省前のラジオ放送~▶動画の概要
社会主義時代のポーランドについて、映画を通じて知るという趣旨の動画です。
題材となる洋画は「ワルシャワ、二つの顔を持つ男」
ポーランド軍の将校がグダンスクでの騒乱(1970年12月)のニュースについて、国防省前での車両無線で耳を傾ける内容です。
なお、主人公のベースとなっているのは実在した人物(リシャルト・ククリンスキ)です。
▶1970年ポーランドの抗議行動(ウィキペディアより)
1970年のポーランドの抗議行動は、1970年12月14日から19日にかけてポーランド北部で発生した。抗議行動は、食品やその他の日用品の価格が急激に上昇したことに端を発している。ポーランド人民軍と市民民兵による対処で抗議活動は鎮圧され、少なくとも44人が死亡し、1,000人以上が負傷した。
党指導部はワルシャワで会合を開き、抜本的な措置が取られない限り、労働者階級の全面的な反乱は避けられないとう結論に至った。
モスクワのレオニード・ブレジネフの指導により、ゴムウカ、クリシュコ、その他の指導者たちは辞任を余儀なくされたが、価格上昇がゴムウカに対する陰謀であったならば、それは成功したといえる。モスクワがミェチスワフ・モツァルを受け入れなかったため、エドワード・ギエレクが新しい指導者として起用された。物価上昇は逆転し、賃金上昇が発表され、経済的、政治的な全面的な変化が約束された。ギエレクはグダニスクに行き、労働者に会い、過去の過ちを謝罪し、政治的な刷新を約束し、労働者自身が今、人民のために統治すると述べた。
スタニスワフ・コチョウェクは副首相の地位を失った。短期間、彼は中央委員会のメンバーであったが、1971年2月に外交官ポストに異動させられた。
▶リシャルト・ククリンスキについて(ウィキペディアより)
リシャルト・イェジー・ククリンスキは、ポーランド陸軍大佐であり、冷戦時代のNATOのスパイであった。彼は死後、ポーランド大統領アンジェイ・ドゥダによって准将に昇進した。
1972年から1981年にかけて、ククリンスキは、西ヨーロッパ侵略のためのソビエトの計画を含む、ソビエトの最高機密文書をCIAに渡した。
元アメリカ合州国国家安全保障担当補佐官ズビグニュー・ブレジンスキは、彼を「NATO初のポーランド人将校」と表現した。
▶視聴者様へのお願い
今後の動画作成のモチベーションアップにつながりますので、ご意見・ご感想等を投稿していただければ幸いです。
また、よろしければツイッターへの書き込みとフォローもよろしくお願いします。
→ ツイッター: https://twitter.com/elza1003