拘幽操 山崎闇斎 崎門学山崎闇斎は江戸時代の儒者、神道家であり、朱子学では「崎門学」、神道では「垂加神道」を開きました。寛文五年(1665)幕閣・会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、殉死の禁止など幕藩政治にも影響を及ぼしました。弟子では浅見絅斎が著名であり、その弟子の若林強斎や、土佐南学の谷秦山ら、幕末では、橋本景岳、梅田雲浜、横井小楠ら、明治時代では西南戦争の谷干城将軍(谷秦山の子孫)が知られています。闇斎は心神(人の心)は天神からの賜物であると考え祀りました。現在は下御霊神社内の猿田彦社に配祀されています。「拘幽操」は周の文王の幽閉を題材にした韓退之の詩であり、これを闇斎は考察し忠義のあるべき姿としました。