「面白い!!」と言われるエッセイの書き方「面白い!!」と言われるエッセイの書き方 - https://EditaPaper.com
自身の経験や考えを言葉で表現したい。
そう考え、エッセイ(随筆)を書き始める人が増えている。
しかし、いざ書き始めると、
「エッセイの定義やルールってあるの?」
「エッセイには、決まった型があるの?」
といった疑問が湧いてくる。
そんなエッセイにまつわる疑問や悩みに、私なりの答えを記しておこうと思う。
日記やブログ記事とは違うのか
「体験がエッセイの起点になるなら、日記やブログ記事もエッセイになるのか?」。まずこの疑問から答えていこう。
日記とエッセイの違い。
日記とエッセイどちらも体験を綴っているが、日記は自分だけが読むことを前提としている。一方エッセイは他人に読まれることを前提にしている。その点が大きく違うため、日記とエッセイは別物と言える。
続いて、ブログ記事とエッセイの違い。
一言でブログ記事と言っても、ビジネス向けのお役立ち記事から単にプライベートを綴った記事まで色々とある。ここでは、後者のほうを比較対象として話を進めていく。結論を言えば、ブログ記事はエッセイだ。第三者向けにプライベートで起きた体験と考えを書いているのだから、それはもう紛うことなきエッセイと言える。
「エッセイ=随筆」なのか
エッセイの定義話になると必ず出てくるのが、「随筆」。
まず、エッセイと随筆では起源が違う。エッセーの起源は、十六世紀のフランスで出版されたモンテーニュの著書『エセー』だ。随筆の起源は、10世紀の日本で清少納言が書いた『枕草子』だ。このように起源は違うが、同一とみなして問題ない。
その理由は二つ。
一つは、日本では同一で定着しているから。もう一つは、エッセイも随筆も自分の体験や考えを綴ったものであることに変わりないから。よって、「エッセイ=随筆」である。もし、「エッセイと随筆は違うよ」と言う人がいたら、その人はただ知識をひけらかしたい人なんだと思ってスルーして構わない。
著名人のエッセイをマネてはいけない
著名人のエッセイであれば、ありふれた日常を綴った話であっても読む人はたくさんいる。そんな著名人のエッセイを無名人が参考にして書いても相手にされない。読者から「自分に酔っている」「ナルシストだなこいつ」「何自分語りしているの?」と思われるだけだ。
エッセイに限らず、コンテンツは「誰が、何を、どう書く」の要素で成り立っている。そして、コンテンツの評価は「誰が」が大部分を占める。そのため、同じ話をしたとしても、著名人Aさんなら読まれ、無名人Bさんは見向きもされないか酷評される。無名人は、「誰が」が弱い分、「何を」が優れていないと読んでもらえないだ。
これをアナロジーしてみると、ラジオパーソナリティーと同じ構造だと気づく。芸能人ではない人がラジオパーソナリティになるには、まずアナウンサー養成学校や放送系の専門学校に入り、そこで話し方の技術を数年かけて学ばなくてはならない。その後、ラジオ局に就職し、能力が認められたら晴れてパーソナリティを務められるわけだ。
一方、芸能人はこういった訓練を受けずにラジオパーソナリティになれる。話の上手い人もいるが、「え~」「あの~~」が1分間に何回も出るような人もいる。それでも、ファンが居るため一定の視聴率は稼げているわけだ。顔も知られていないラジオパーソナリティが芸能人と同じ視聴率を維持するには、相当なトーク力や表現力が必要になる。
エッセイストは付属職業
エッセイストは名乗れば誰でもなれるが、売れることはない。一時的に売れたとしても、売れ続けることはない。売れているエッセイストは、元々、小説家や放送作家、脚本家、漫画家、芸能人といった何らかの仕事で名が知られた人ばかり。エッセイストから始まってそれだけで食っているという例を私は知らない。無名人が日常を綴ったエッセイを出版社に持ち込んでも、断られるか自費出版を勧められるのがオチだろう。
何が言いたいのかというと、その他の文芸と比較して、エッセイはそれだけ「誰が」が重視されるものだということ。もし本気でエッセイストになりたいのであれば、まず今の仕事で何かしらの成果を出し、有名になることだ。そうすればエッセイ本を出す機会にも恵まれるだろう。同時に講演依頼も入ってくるようになる。(この2つは、名前が売れたら入ってくる仕事という点では類似している)。
無名人がすべき差別化戦略
先程も述べたが、著名人に比べ、無名人は「誰が」の部分で大きなハンデを負っている。その分、「何を(内容)」で勝負するしかない。具体的に言えば、変わった体験をネタにするか、変わった考えをネタにするか、またはその両方だ。つまり、「体験⇒考え」の「体験」「考え」のどちらか、またはその両方で差別化するということになる。
変わった体験とは、読者がしたことがないような経験、出来事、仕事など。読者から見て「非日常」であることが大切になる。変わった考えとは、誰もがしたことのある経験だが、人とは違った考え(解釈)。ここでは、感性や洞察力が問われる。
「体験」か「考え」で差をつけるという点は、写真と似ているなと思う。
私は趣味で風景写真を撮影しているが、感動する風景写真には2種類あると考えている。一つは、珍しい被写体を撮った写真。たとえば、山頂や南極の風景といった、労力を惜しまないと撮れない写真だ。中々行けない場所だからこそ、価値がある。もう一つは、誰もが目にするありふれた風景を美しく撮った写真。「なんとも思わなった風景だけど、こういうふうに見たら美しく見えるのか!」と、被写体の持つ美しさに気づかせてくれるものがそうだ。
「非日常」は「珍しい被写体」、「人とは違った考え」は「ありふれた風景を美しく」とアナロジーできると思う。
「差別化なんて考える必要あるの?」と思うかも知れない。もちろんエッセイは自分の好きなように書いて構わない。「面白いと思ってもらえるものを書きたい」という人のために、ひとつ上の話をしている。
Amazonで「エッセイ」と検索してみたら分かる
実際に、エッセイの市場調査をしてみよう。
Amazonで「エッセイ」と検索してほしい。数え切れないほどのエッセイが出てくるはずだ。そこから著名人は無視して、無名人のタイトルだけを見てほしい。
気づいただどうか。変わった体験や仕事をネタにしたものばかりだ。
もう一つ気づいたことがあると思う。コミックが多い点だ。無名人のエッセイは、活字よりも読みやすいコミックにしないと読んでもらえないというわけだ。これぐらいのことをしないと、お金を払ってもらえるエッセイにはならないのだ。
ここで一つ大事な事実を伝える。
書籍になっている無名人のエッセイのほとんどが、「体験」を売りにしたもの。つまり、読者ニーズは、「体験>考え」なのだ。
YouTube動画の「○○をやってみた」系は人気を集める企画だ。「非日常」と「○○やってみた」は、「未知」という点で共通している。非日常を扱った体験にニーズがあることはYouTube動画の傾向を見ても分かる。それだけ人は「未知」に強い好奇心を抱くのである。
日常の話を面白く書く3つのコツ
面白いエッセイは、「非日常」をネタにしたものだと伝えてきた。このような「非日常」を扱うのは、面白いエッセイを書くための差別化戦略になる。今からお伝えするのは、戦術レベルの話だ。誰もが経験する日常の話でも面白いと思ってもらえる書き方(ネタのいじり方)になる。
日常の話を面白く書くコツは3つある
1つ目は、オチのある話。
最後にクスッと笑わせてくれるエッセイは、もっともっとと読みたくなる。私自身、エッセイを書くときは必ずと言っていいほどオチを用意している。というか、オチがない話は書く気が起きない。
オチと言えば「落語」。私は落語が好きで、時々散歩しながら聞いている。エッセイを書くなら、落語を絶対に聞いたほうがいい。人を笑わせるヒントが詰まっている。もう一つ、「オチ」の勉強になる分野がある。それはショートショートだ。ショートショートには必ずオチがある。星新一作品などを読み込んでおくこともエッセイを書くうえで役立つはずだ。
2つ目は、「失敗ネタ」。
失敗ネタは鼻につかず、誰もが面白がって読んでくれる。お笑い芸人が失敗をネタだと認識しているように、エッセイを書く人も失敗をネタだと思うようにしよう。
エッセイストの向田邦子さんも「失敗ネタ、ドジ話は読まれるエッセイの母である」とおっしゃっていたそうだ。さくらももこさんのエッセイも失敗ネタやドジ話が中心だ。失敗ネタは、著名人だろうが無名人だろうが面白いエッセイになる鉄板である。
ちなみに、失敗ネタは自分自身である必要はない。身内の失敗もネタになる。自分の周りで起きた失敗はすべてネタだと思ってほしい。
3つ目に入る前に、「オチ」と「失敗」の共通点について補足がある。
「オチ」と「失敗」、どちらも「笑わせるエッセイ」になる。「エッセイは笑わせてこそなんぼ」だ。少なからず私はそう思っている。そんなことはない、という異論は認めるが、なぜ私が「笑い」の要素を重要視するのか、聞いてほしい。
エッセイは、小説に比べて「軽い」読み物である。軽いというのは、脳のメモリーをあまり消費しない、疲れないというニュアンスで受け止めてほしい。そこまでエネルギーをかけずに気分転換したいな、と思ったときに読むものがエッセイだと私は考えている。
小説とエッセイを喩えるなら、映画(2時間)と朝ドラ(15分)だ。映画は本腰を入れないと見れないが、朝ドラなら軽い気持ちで見れる。それと同じ。軽く何かを観たいときに見るドラマのように、軽い気持ちで読むのがエッセイなのである。だから、明るくて笑いがあるほうがよい。
さて、「オチ」と「失敗」とは少し角度が違う、3つ目の書き方について。
3つ目は、「ブリッジ」。
ブリッジとは、話題Aから話題Bに話を繋げることを指す。ブリッジで重要なのは、どう繋ぐか、だ。本題は話題Bであり、タイトルは話題Bにちなんだものにする。冒頭(特に書き出し)に話題Aを持ってくることによって、タイトルと書き出しとのミスマッチが起き、「えっ? なぜこのタイトルでこの書き出しなの?」と読者の興味を引くことができる。最後まで読むと「なるほど。だからこのタイトルなのか」となるわけだ。
書籍『書く力 私たちはこうして文章を磨いた 』(著 池上彰 竹内政明)では、「ブリッジ」について丸々1章を割いている。それだけ重要な技法というわけだ。ひとつ上のエッセイを書きたい方は、本書を手に取ってほしい。
ちなみに、ブリッジを架ける方法の一つにアナロジー(類推)がある。A話題と構造が似ているB話題を出して、Bに話をつなげていく。個人的には、アナロジーによるブリッジは最も知的だと思っている。
アナロジーについてはこちらの記事を参考。
日常の話を面白く書く3つのコツを紹介してきた。
この3つに通じるのは、「そこに着地するのか」「そんな展開になるのか」と読者に思わせること。つまり、いい意味で読者の予想(期待)を裏切るわけだ。読者は、冒頭を読み、「こうなるんじゃないか」と予想しますが、その上を行くようにする。
お気づきかもしれないが、「オチ」「失敗」「ブリッジ先」とのギャップを作るには、冒頭が重要になってくる。「オチ」「失敗」「ブリッジ先」から離れた話題から始めるようにする。そうすることで、ギャップが生まれ、読者の予想を裏切りやすくなる。
もちろん、そんなエッセイはそうそう書けるものではない。だが、こういった視点を知っておいて損はない。
ここからは小ネタになる。
エッセイの書き方
エッセイの肝は、「体験⇒考え(思い)」と述べてきた。とはいえ、「○○があった。だから私はこう思った」と必ずしも書く必要はない。考え(思い)は、書かなくても書けるからだ。「書かなくても書ける」というのは、行間で読ませるということ。体験を通じてあなたがどういう行動(反応)をしたかを描写すれば、あなたの考え(思い)を表現することができる。
エッセイの文字数
エッセイに文字数の制限はない。だが、短いほうがいい。理由は、先述してきた話と同じ。著名人なら長文でも読んでもらえるだろうが、無名人だとそうもいかないからだ。
私は、1タイトルにつき1600文字を上限にしている。ほとんどは600字以内で収まっている。「私には読ませる力がある」と自信があるなら、3000字でも5000字でも構わないが、相当な技量がないと難しいだろう。
エッセイのネタが集まる人の特徴
エッセイを書く人には、好奇心と洞察力が必要になる。
好奇心があれば、色々なことにチャレンジしてそこから様々な経験が積めて、ネタが増えるだろう。洞察力があれば、一つの経験から多くのものを得ることができ、エッセイに深みを与えるだろう。
エッセイをどこで発表するのか
2020年現在、オススメする場所は2箇所あります。
一つは、note。伸び代があるうえ、SEOにも強いからだ。加えて、有料販売のシステムもあるため、文章で稼ぎたい人にはこれ以上ない場所だと思う。もう一つは、カクヨム。文章による創作物に興味がある人たちが集い、作品を読んだり書いたりしている。切磋琢磨するにはいい環境かも知れない。
noteが本業エッセイストを作るかも
「名前が売れてからでないとエッセイストにはなれない(食えない)」といった話を先述した。しかし、もしかしたらSNSとnoteのようなプラットフォームがその常識を壊すかもしれないと少し期待している。というのは、今はSNSなどがあり、TVなどに出なくても個人にファンが付く環境が整ってきたからだ。ニッチだとしても、一定数の根強いファンがいるならnoteなどでエッセイを販売して、生活費を賄うことも可能かも知れない。現に、SNSで有名になりエッセイ本が出版された例もある。SNSがなかった時代と比較したら、可能性は確実に広がっている。
参考になる無名人エッセイ本
無名ながら、活字のエッセイ本を出版された数少ない例を紹介する。変わった体験を元にしたエッセイが主だが、際立つのはその文章力。エッセイを書く人にとって参考になるため、紹介しておく。
深爪式 声に出して読めない53の話【電子書籍版】 (著 深爪)
死にたい夜にかぎって (著 爪切男)
出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと (著 花田菜々子)
エッセイを書くモチベーションは、エッセイから受け取る
エッセイを書きたくなる瞬間ってどんな時か?
私はエッセイ本を読んでいるときだ。特定の著者のエッセイを読んでいると、無性に書きたい衝動に駆られる。
私の場合は、川上弘美さんと壇蜜さんのエッセイがそうだ。
東京日記1+2 卵一個ぶんのお祝い。/ほかに踊りを知らない。 (著 川上弘美)
壇蜜日記 (著 壇蜜)
人によって、衝動を喚起させてくれる著者は違うはず。勉強ついでにいくつものエッセイを読み、衝動を喚起させてくれる著者を探してみよう。