「料理は心や!」 神田川俊郎さん死去 81歳コロナ感染 「料理の鉄人」で人気関西を代表する料理人で、フジテレビ系バラエティー番組「料理の鉄人」でも人気だった神田川俊郎(かんだがわ・としろう、本名・大竹俊郎=おおたけ・としろう)さんが25日未明、大阪市内の病院で死去した。81歳だった。通夜・告別式は密葬で営まれる予定。新型コロナウイルスに感染し、今月16日に入院。人工心肺装置ECMO(エクモ)での治療を受け、24日に回復していたが、翌日に容体が急変し、帰らぬ人となった。 【写真】同窓会に集合した料理の鉄人 2013年に世界無形文化遺産に登録された「和食」の発展に貢献した名料理人が、天国へと旅立った。 スポーツ報知の取材に応じた喪主で長男の大竹希(のぞむ)さん(44)によると、神田川さんは大阪市内の自宅の浴槽で倒れているところを妹に発見され、病院に搬送されたが、そこで新型コロナ陽性が判明。16日から入院していた。 人工心肺装置ECMOによる治療で、血液の酸素濃度も正常値に近い状態に戻り「良くなってきた、よっしゃ!」と希さんら親族は喜んだが、呼吸が回復せず容体が急変したという。コロナ感染の恐れがあるため、父の最期をみとることはできなかった。死因は現在のところ不明だが「持病の心臓の影響では」と推測。密葬の後、コロナの状況が落ち着けば、改めて告別式を開く意向だという。 神田川さんは1939年、京都に生まれた。中学校を卒業後、大阪の老舗料理店「なだ万」などで修業し、独立後、創作おでん店の開業を経て、65年に大阪・北新地で「新日本料理」を提唱した割烹料理店「神田川」を開店。「花に水、人に愛、料理は心」をモットーに活躍し、テレビの料理番組にも多数出演した。 フジ系のバラエティー「料理の鉄人」(93~99年)にも挑戦者として出演し、3勝2敗の成績を挙げた。時には「関西料理界のドン」として自らが包丁を握り、別の時には弟子の後見人として果敢に挑戦。“和の鉄人”道場六三郎さん(90)=敗北=や、「なだ万」の後輩・中村孝明さん(73)=勝利=との対決は語り草となり、「料理は心や!」の“決めぜりふ”と共に話題を呼んだ。 私生活では大の相撲ファンとして知られ、夫人と10年に熟年離婚をしたことをテレビ番組で公表している。 全日本調理師協会名誉会長として後進の育成にも励んだ。講演会も精力的に行った。希さんは「『料理の鉄人』を見て偉大な父親だと感じていました。忙しく、接する時間が少なく寂しかったですが、仕事が生きがいの人でした。昔から強かったので。こんなことになるとは思わなかった」と声を落とした。 神田川さんは最近では、プロ野球・西武のOBの好物を取り上げ、コラボした「ライオンズレジェンドOBプロデュース弁当」を監修。5月3日に販売スタートされる秋山幸二氏(59)の弁当が“最後の逸品”となる。 ◆神田川 俊郎(かんだがわ・としろう)本名・大竹俊郎。1939年11月15日、京都府生まれ。父と祖父も料理人。65年、大阪・北新地に神田川本店を設立。素材やジャンルにとらわれない自由な発想で、「新しい和食」を世の中に送り出した。若い時から積極的にテレビ出演。日本テレビ系「2時のワイドショー」内のコーナー「神田川料理道場」は視聴者の人気を集めた。