新居浜金子山神風特攻隊敷島隊員の墓等/四國島新居濱金子山神風特攻隊敷島隊員之墓等金子山の展望台から北側を見渡すと、眼前に広がるのは、住友グループの工場群、瀬戸内海燧灘とそこに浮かぶ島々、さらには対岸の中国山地。翻って、南側を見渡すと、中央構造線に沿って連なる急峻な四国山地石鎚山脈。南海大地震のような自然災害をもたらしたりもする造山運動ですが、これがないと、日本列島はそもそも存在しなかったかもしれませんね。また、海の色も、空の色も、遠くから眺めれば、そこそこ青く見えるのは、日本列島自体が大海に浮かぶ島嶼部だからこそでしょう。
さて、2024年パリオリンピックでは、日本代表選手による神風特攻隊関連施設発言が、中国大陸で物議を醸すといったことがございました。実は、神風特攻隊員として戦死された方の数は数千人規模であり、日本国内では、身近なところにも関連スポットがあったりするものです。江戸時代に別子銅山が開坑されて以降、住友グループ発祥の地、企業城下町として発展してきた四国地方屈指の工業都市新居浜市、さらには、隣接する西条市、四国中央市にも関連スポットがあるようです。2024年1月、新居浜市内の関連スポットの前を通り過ぎる機会があり、ついでに少し撮影してみました。
作成した動画は通常、国内外の主流プラットフォームで公開した後、リスクを判断した上で、できるだけ、こちら中国大陸の各種プラットフォーム上でも公開するようにしていますが、本作品を中国大陸のプラットフォームにおいても公開するべきかどうかと考えると、少し迷うところです。ちなみに、前々回、渡緬記者長井健司氏の墓に関する動画作品を中国大陸のプラットフォームで公開したところ、噛みついてきたフォロワーが一人いたこともあり、撮影日時の順番からいうと、本動画を構成する写真の撮影日時は、前回作品別子銅山中国人殉難者慰霊之碑を構成する写真の撮影日時よりも早く、順番が逆になってしまいますが、敢えて後者を優先して作成いたしました。
それはさておき、こうした歴史スポットに出くわしたときに、重要なことは、そこから何を学び取るかでしょう。可哀そう、忠君愛国、祖国防衛、あるいは、集団主義、洗脳、戦争と平和、侵略と被侵略等、いろいろな反応があろうかとは思いますが、とりあえず、対米関係についてのみ申し上げれば、自国民に確実な死を迫るという人命軽視の非常手段を使ってでも、天皇制という国体の維持が図られた時代が過去にあったのであり、そのような時代において、支配層は如何なる国益を犠牲にすることも厭わなかったはずであり、その後、条約、密約、その他社会的構造等によって、不平等な関係が長年固定化されてきたという面もあったりするのでしょう。これらは改められなければ、日本社会の長期低落傾向は継続し、とりわけ中下流階層は今後も長い期間にわたって、悪影響を受け続けることになるだろうと思われますが、日本国内で暮らしている皆さんは、果たして、それで良いのでしょうか?憲法に関わり、相手もいることなので、簡単な事ではありませんが、日本国内は、現状を改め、社会を革新するという気風に乏しいようです。もし、幕末に黒船が来航していなければ、日本は今なお江戸の鎖国時代が続いているかもしれませんね。経済的にはあまり発展しなかったかもしれませんが、今より幸せかもしれませんね。
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從金子山的瞭望台向北眺望,可以看到與住友集團有關的很多工廠、瀨戶內海燧灘和漂浮在那裡的很多島嶼以及對岸的廣島縣中國山地。轉身向南看,就看到沿著中央構造線斷層陡然聳立的四國山地石鎚山脈。造山運動會引發南海大地震等天災,但如果沒有造山運動,日本列島可能根本就不存在。而且,從遠處看,海水和天空的顏色都顯得相當藍,是因為日本列島本身就是漂浮在大海中的島嶼地區的緣故吧。
話說,2024年巴黎奧運期間,一名日本運動員關於神風特攻隊相關文化設施的言論在中國大陸引發爭議。事實上,戰死的神風特攻隊飛行員的總數達數千人的規模,日本各地方都有相關古蹟。比如說,自別子銅山於江戶時代開採以來,作為住友集團的發祥地、城下町,發展成為四國島內主要工業城市之一的新居濱市,與此接壤的西條市和四國中央市均有相關古蹟。2024年1月,我有機會經過新居濱市內的相關古蹟,於是,順便拍了照片。
我創作出的影片通常會在日本國內和海外的主流平台上發布,然後在評估風險程度後,盡可能同樣在中國大陸的各個平台上發布。本影片該不該同樣在中國大陸的平台發布,這還得好好評估一下吧。順便說一句,我上上一次創作的關於赴緬記者長井健司先生墓的影片作品在中國大陸的一個平台上發布後,有一名粉絲留下了問題評論。也因為如此,從拍攝時間的順序來看,本作品的原始照片的拍攝時間早於關於別子銅山中國殉難勞工慰靈碑的作品的原始照片的拍攝時間,先後顛倒了,但我也特意把後者優先創作了。
不管怎麼樣,當遇到這些古蹟時,重要的是我們從中學到什麼。應該會有很可憐、忠君愛國、保家衛國,或者集體主義、洗腦、戰爭與和平、侵略與被侵略等各種反應。我先在這裡只說與美國的關係。日本曾經有過逼迫本國人民遂行一定會死的非常手段,也要企圖保留天皇制這樣輕視人命的年代。在那樣的年代裡,統治階層不惜一切代價,應該會犧牲其他任何利益。之後,透過條約、密約、其他社會結構等方式,不平等的關係應該被固定下來了,後來經過了很多年了。如果再不糾正這樣的結構,日本社會長期衰退的趨勢將持續下去,特別是中下階層未來很長時間應該受到負面影響。在日本國內生活的各位真的可以接受嗎?這涉及憲法,而且不僅有我方,也有對方,當然是一個不簡單的事情。只是不得不說日本國內似乎缺乏改變現狀和創新社會的精神。如果幕末時期黑船沒有來航,日本可能還處於鎖國的江戶時代。那樣的話,日本可能經濟上沒有太大發展,但日本人民可能過得比現在更快樂。