• Status
  • Mobile
  • Rating

Status

  • Views:2053    Added to 0 users' albums.
  • Category : News/Current Topic/Blog 
  • Keyword : 原子力発電  事故  放射線  人体  影響 
  • 綿貫孝司さん(環境カウンセラー・事業者部門、第一種放射線取扱主任者、元原研職員)による講演です。環境カウンセラーズぐんまの主催で2011年4月9日に群馬県立女子大学講義室にて実施。約1時間25分。
    ビデオカム内蔵のマイクによる収録のため、聞き取りにくい部分があるかも知れません。またハウリングを起こしている箇所があります。あらかじめご了承ください。

Watch video on mobile

  • Please read the QR Code here and access the indicated URL to watch this video on mobile.

    Or, you can send this video's URL to your mobile from here.

Set this video on my blog/site.

Paste this tag to set up this video on a site or a blog.

Set player

320x272

448x284

480x392

640x392

Custom settings
Width
Height

Thumbnail Link Setting

  • Video:放射線・放射能のおはなし

Thumbnail Link Setting

Comments

1.先生と呼ばれるようになったら人生終わり!?私は生涯、学生の身分でございます。(2011/04/08)
 当サイトの最初の日記ではあるが、思いっきり愚痴を書こうと思う。私は、今まで多くの先生と俗に呼ばれる人たちとお付き合いさせてもらってきた。学生時代の教師に始まり、教習所の教官や医者、弁護士、プロテスタント教会の責任者、一級建築士、環境の有資格者、税理士、司法書士、高校の教師などである。そういったお付き合いの中でたくさんの良い経験をさせていただいたのは事実だが、それを数倍するほどの嫌な思いもさせられてきた。はっきりいって人生の師と呼べる人は数えるほどしかいなかったのである。だいたい先生と呼ばれるような人は一般に社会的地位も高く、人間性が崇高で、知識が豊富にあふれ、至極常識的で、本当に意味で物事がよくわかっている人の事を言うのだろう。ところが、私の悪い先生のイメージとしては、貪欲で、自分本位で、すぐかっとなり、金銭に細かく、傍若無人で、わがままで、自分は頭がいいと自負してやまず、至極高慢で、人の気持ちが分からず、人の痛みもわからない、到底手に負えないどうしようもない人たちのことであり、実際そんな人が多かった。仕事で知り合ったある中学の教師は、「先生、教育で一番大事なことは何でしょうか?」と私が質問したら、「教育とは技術です。」ときっぱり言っていた。私は正直失望せざるを得なかった。
 追々詳しく書くが、仕事で知り合った開業したばかりのある歯科医などは共同事業を立ち上げようと私に持ちかけ、さんざん無料奉仕をさせた挙句、必要経費を請求したら「君は協力者と思っていたが、業者として俺と付き合えと言うのか?こんな請求は認めない。」と必要経費さえ支払ってもらえなかった。
 先の歯科医と知り合ってから直ぐに彼に紹介された別の町で開業したての彼の後輩の歯科医は、ホームページの制作を仕事で私に依頼したが、出来上がっても私に期日までに料金を支払わなかったので、作ったホームページに私のホームページへのリンクを張ったら、怒って私のホームページをグーグル八分にしてしまった。私はこれには呆れてしまったので、直ちに作ったホームページをサーバーから消した。そしたらその歯科医は弁護士に訴えるぞと、私に脅迫電話を掛けてきたのである。料金も払ってないのに。この男の歯科医はたちが悪く、ここで述べるのも恥ずかしいことだが、ホームページの仕事が終わる前に私の家の階段で私の尻を女性の尻を触るかのように男である私の尻を触ったのである。これには本当に私も怒ったが、彼が必死に謝ったので、彼を許してやったが、今思えば彼を警察に突き出してやればよかったと思う。数年後、風のうわさで、彼の親族が県会議員であり彼の不祥事をいろいろ揉み消してると聞いたが、さもありなんと思ったところだった。
 こんな話はほんの一例である。この他に、自分を教会から除名しておきながら、仕事という名目で付き合ってほしいとひそかに私に言い寄り、全部で約八年間も無料労働させたプロテスタント教会の責任者の話。人の道を説く先生である。この人とはその奥さんが「うちにお金がありさえすれば、エドさんなんか呼びはしなかったわよ。」と言った一言が許せず決別した。
 またこんな話もある。環境の資格であるエコアクション21の審査人の大先生の話。科学技術庁長官賞を国から頂かれている原子力研究所でも所長級で退官されたとてつもなくお偉い先生である。難しい資格をそれこそたくさん持っている大先生で、私など全く足元にも及ばない大先生である。この人も仕事で関係した人だが、当時私は私の定めた基本料でこの先生の作成する文書のワープロソフトの操作など審査報告書の作成業務の仕事を中小企業の審査の現場やその先生のお宅でしていたが、この先生が先生とは全く関係のない伊勢崎市の私の顧客の会社に対する仕事内容にちょっかいを出し、「先の君が定めた基本料の3倍はその会社から取らなくてはいけない、安くすればいいものではない、それが仕事というものだ。」と再三にわたってご指導ご鞭撻していただき、事実その通りにしたらその会社と私の関係が悪化してその会社から仕事がもらえなくなってしまった。ところがちゃっかりその大先生は仕事であるにもかかわらず、先生の審査報告書の作成業務の仕事には先の基本料しか払ってくれていなかったのである。これも仕事であるのに。言っていることとやっていることが違うので頭にきて、結局その大先生からは決別した。科学技術長官賞もこの程度の人のためのものである。
 自分の嫌な体験を思い出しながら、文章にするのは正直気分が悪くなる。だが、ここに書いたのは何度でも言うようにほんの一例である。後ですべて暴露しようと思うが、話を元に戻そう。とかくこの日本はあまりにも先生になりたがる輩が多すぎる。とにかく先生という肩書がほしいのである。事実なりたい職業の上位は常に学校の教員である。よほど先生と呼ばれたい程、自分に自信があるのか?否、先生と呼ばれないと自分が保てないほど自分に自信がないのではないか?日本に先生と呼ばれる人が多くなってから日本はおかしくなってきたというのは言い過ぎだろうか。この先生なりたい願望の背後にあるのは一体何か?冒頭で述べた中学生教師の言葉にヒントがありそうである。つまり「教育とは技術です。」という言葉である。つまり心(精神)を抜きにした教育である。言葉を換えて言うならば「考えること」より「知識重視」の教育である。小手先の教育技術が重視されるようになってから、暗記が重視されるようになった。一言で言うと憶えることはするが考えなくなってしまったのである。そういえば、この日本はいつしかマニュアルがもてはやされ、政府から企業、学校などあらゆるところでマニュアルなしでは機能しなくなってしまった。世間のマニュアルに反することは悪であり、世間のマニュアル通り資格を得れば社会的に認められ、資格を持ってなければ仕事もありつけなくなってしまった。世間のマニュアル通りの出世人生を目指し、万人に認められる生き方を好んで選択するようになってしまった。つまり社会的に認められた人生でないと自己が保てないほど、人間が軟弱になってしまったのである。だから会社を首になったくらいで自殺する人が後を絶たない。要するに見栄の社会である。見せかけだけの社会、カッコだけの社会、財産地位身分で人を評価する社会である。うわべだけの社会だから本質を求めることより、処施術が重宝されるのである。人の事など一向にお構いなしで、自分さえよければいいのである。
 こういった本質的な社会構造がどのような精神土壌を生みだすかというと、ひとえにそれは教条主義と言えないだろうか。教条主義とは、「状況や現実を無視して、ある特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度。」(goo辞書より)だそうである。教条主義に支配された組織の端的な例として現代のプロテスタント教会などが挙げられると思う。彼らは、キリスト教の原理・原則に固執するあまり、生き生きとした教会の場を失った。神学というキリスト教原理主義のドグマ(教理)に支配され、それから一歩でもはみ出した考え方を言うと、それに対して非常にヒステリックに拒絶反応を示す。つまりその考え方は教理的に間違っていると言われてしまうのである。ところが絶対的に正しい教理などこの世に存在しないのである。いくら理論的に絶対的な教理をこの世に存在する数々の真理から見出そうとしても、どんなに頑張っても完全にすべての真理は包含できないのである。簡単に言うと、先の人為的に作られたマニュアルが、決してすべての不測の事態に対応できないことと同じである。ここでは教会を例に取っているが、マニュアル化された現代の教会は、自由な考えの臨機応変なクリスチャンを締め出してしまったので、自然と教会から人が去り、考えることをしない聖書ロボットだけが残っている悲しい現実がある。これは過去の私のクリスチャンの経験から得られたことでもある。
 そろそろまとめようと思うが、要するに人のエゴから生まれた教条主義、それにに支えられた社会のマニュアル化とは、政府や企業などの体制側に都合の良い、従順で言う事をよく聞く、体制側ロボット人間を作るためのものだったのである。ロボット人間が人の心など持ちえないことは言うまでもない。ただのロボだから。だから人の気持ちもわからないし、人の痛みも理解できないロボットが多いのである。ロボだから誤動作で人に危害を加え、それをを自己修復できない。ロボだから壊れても治らないのである。人間の言葉も理解できないし、自己修復もできないのである。あなたの身の回りに先生と呼ばれる人がいたら、この人はロボット人間かと疑ってみるとよいだろう。先生とは教条主義を押し付ける側の人だからである。昨今の政治家のセンセイを見ればよくわかる事である。残念なことに、ここで私が述べてきたようなことは福島第一原発事故の政府と保安院、東電の対応などが見事に証明してしまった。
 最後に、ではロボでなく人間として生きるにはどうしたらよいか、その答えは至極簡単で本来の自分を取り戻すことである。欲望に支配された生活を改め、現状の自分にまず満足し、虚栄に走らず、等身大の自分が見えるようになること、分をわきまえることである。ありのままの自分を受け入れることである。幼子のような正直な心に立ち返り、自分の内なる心の声に素直に聞き従う事である。また自分の利益よりも相手の利益を優先する事である。得ることばかり考えないで、人に与えることをまず心がけてみることである。これだけでも相手が心ある人か判断できる。言う事は易いが、これを行う事は実は本当に難しいことなのである。何故ならこれを出来るにはロボが人間に生まれ変るほどの変革を要求されるからである。例えて言えば、金持ちが全ての財産を売り払って、それをすべて寄付し、無一文になるほどの変革が必要だからである。要するに過去に形成された現在の自分の下手なプライドやコンプレックスがすべて解消されなければ到底無理である。まあ言うだけ言ってみたが、実行できたらやってみてください。

 心に残ったセリフ。(その1)
 「心を開かなければ、エバは動かないわ。私は人形じゃない。」(綾波レイ「新世紀エヴァンゲリオン」)
 「おまえはもう死(師)んでいる。」(「北斗の拳」)

和狸バカ死 (2011/07/14 01:08:05)
1 /1showing comments

FC2 Live Popular Programs

Other Recommended Video