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2022年夏。安倍元総理の非業の死から1か月がたとうとしています。日本社会は、パンドラの箱が開いた。 GHQ、マッカーサー、サンフランシスコ講和条約、沖縄返還交渉、沖縄返還、ニクソンショック、自民党と統一教会の歴史。文鮮明、吉田氏、岸信介、笹川良一、児玉誉士夫と。それまでタブーとされていた戦後政治の闇が表へ解き放たれた瞬間だ。 その歴史の手がかりと知られざる戦後日本政治史の秘密を語る、語り部には、元日経新聞政治部ベテラン記者そして総理秘書として名を馳せた永田町のどらえもんこと松田光世氏。 ナビゲーターは、政局ウォッチNOW❤️でおなじみの政治アナリスト❤️チャオ。 この夏、貴方の知らない戦後をお届けします❣️ 政治アナリストのチャオ❤️です。政局ウォッチNOW❤️独自夏休み、日本政治史秘録は、 元日経ベテラン政治部記者松田光世氏と語る、良い子のための戦後レジーム総決算❣️戦後日本政治史秘録❣️シリーズです。 今年は、#沖縄本土復帰50年 の節目の年です。かつて沖縄返還交渉の水面下で尽力した #小島平八郎 氏の知られざるエピソードをもとに、小島氏の甥である元日経新聞ベテラン政治記者兼元総理秘書に、#沖縄返還交渉時 の水面下の知られざるエピソードや密約など当時の背景を解説してもらいます❣️ 第3回❣️元日経ベテラン政治記者が語る戦後日本政治秘録❣️ 今夜のテーマは #沖縄本土復帰50年 サンフランシスコ講和条約から沖縄返還交渉の舞台裏〜沖縄の米国統治を譲らなかった日米安保の父ダレス。なぜ沖縄返還まで20年を要したのか?#沖縄 #政治 この動画の中で、出てくる 松田さんの叔父である 小島平八郎氏は、 田中角栄内閣時に外務大臣として訪米した木村俊夫の訪米団に大臣秘書官として小島平八郎氏の名前がでてくる人物です。 https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/ho... 木村俊夫大臣は当時、自民党アジア・アフリカ研究会(AA研)会長も兼ね、外交ハト派の重鎮だった。佐藤栄作総理の官邸では、官房副長官→官房長官→官房副長官として支え、ずっと沖縄返還交渉を担ってきました。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%8... 敗戦→GHQによる占領の時代。日本は、独立国の地位を目指して悪戦苦闘する。その日米交渉の大役を担ったのが、幣原喜重郎内閣の外相吉田茂だった。まだ、大日本帝国憲法が有効で、外相を含めて「天皇陛下の官僚」だった時代のこと。吉田の交渉相手として登場したのが、ジョン・フォスター・ダレス。講和条約交渉米国全権代表である。ダレスは共和党でも指折りの反共産主義のタカ派の論客。アイゼンハワー政権でダレスは国務長官となり、弟のアレン・ダレスはCIA長官を務めた。中華人民共和国の台頭と朝鮮戦争の経験を踏まえ、ベトナムで共産主義を食い止めなければ、東南アジア一帯が共産化し、米国の国益が損なわれるだけでなく、自由主義陣営が危機に陥るという有名な「ドミノ理論」を展開し、ベトコンと戦うフランスを支援すべきだと訴えた。ダレスは、欧州でNATO設立に奔走し、冷戦構造を作り上げた。小島の叔父さんは、ダレスのことを「ダレスの親父さん」と呼んでいた。個人的にそう呼んだわけではなく、自由党の議員は全員そう呼んでいた。サンフランシスコ講和条約と日米安保条約をセットで結ばせ、駐留米軍を安保条約に基づく在日米軍という今の形に変えたダレスは、「日米安保の父」と呼ばれた。 吉田書簡 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9... 吉田茂がダレスに宛てた手紙が第一次吉田書簡と呼ばれるもの。日本は台湾の中華民国政府を中国の唯一の正当な政府と認めるとした。この後、日本は日華平和条約を結び、1972年田中角栄の日中国交正常化まで、日本と中華人民共和国は国交のない状態に。すべてダレスが日本に自由主義陣営の一員として振る舞わないと独立を認めないというプレッシャー外交を貫いた結果でした。 日本政治史、戦後の保守政治の源流をこのシリーズは、政治アナリストのチャオが聴き手で、松田光世氏と対談します❣️ 緊張の夏、日本の夏。 戦後レジーム総決算❣️ 日本政治秘録を良い子の皆さんにお届けします❣️
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